2014年2月27日木曜日

悲しい出来事



出勤時に利用する、住まいの近所に設置されている歩道橋。
長い歩道橋なのだが、地下鉄御堂筋線・JR新大阪駅へ向かうには
この歩道橋を渡るしかない。
歩道橋の下は大きな交差点になっているのだが
駅方面には横断歩道がない。
車の交通量が多いため、流れをスムーズするためか
人間は空中に押しやられた格好だ。

ただこの歩道橋、新大阪駅の北側をぐるりと囲むように設置されており
新御堂筋を渡る部分は階段で上がり下りしたり、
周辺のビルに沿って設置されていることもあり、
くねくねと曲がり角が多い。














数日前出勤途中、視覚障害の男性が
歩道の欄干にぶつかりながら歩かれていた。
まだこの道に慣れていらっしゃらないのかと思ったのだが
いた堪れなくなり、「肩をお貸ししましょうか?」と声を掛けた。
「有難うございます」と言われ僕の左肩に手をおかれ
一緒に歩き出した。

気が付かなかったが、よく見ればこの歩道橋、
長くあちこち曲がっているのにまったく点字ブロックがない。
新しく出来たビルの入口へ続く分かれ道には
ブロックが設置されているのだが、この本道には何もない。
これでは目の不自由な方は大変だ。
階段だって点字鋲さえ無い。
視覚障害者にとって断崖絶壁の縁に立たされて
いるような気分だろうと思った。














































朝の通勤時間は駅方向から多くの勤め人の方が
この歩道橋を歩いて来られるので、必然的に端を歩くことになる。
この道あちこちクランクしているため必然的に欄干にぶつかってしまう。

その男性は障害者に冷たい行政に、少しだけ愚痴をこぼされたが
今回初めて日々通る道がこんなにも無慈悲だという事を知ってしまい
なんだかとても悲しくて涙が出そうになった。
障害者の方のためにすべての予算を使うことは出来ないだろうが、
僕達が知らないところで色々な苦労をされているのだろうと思うと
何か切なくて何も出来ない自分がとても腹立たしかった。

肩に手を置かれ、いつもより少しゆっくりとしたスピードで
新大阪駅までご一緒したが、視覚障害者の方のよりどころである
社会福祉法人「ライトハウス」の予算が財政難で500万も削られ、
点字の本の購入や人件費が減らされてやるせないと仰っていた。

普段、光や陰影を考えながら豊かな空間を作りましょう!と
話している自分がとて小さく見えた。

身障者の方も健常者の方も関係なく、本質的な豊かな空間を提供することとは
一体どのようなことなんだろうか。
もう一度原点に戻り再考しなければならないと感じた日であった。

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