2014年1月25日土曜日

出島にて



母校である長崎海星高校に隣接するオランダ坂を下って
香港の裏町のような唐人町の街並みを
新地と呼ばれる中華街あたりまで少し歩くと
電車道の向こうに「出島」が広がる。

扇の形に例えられた「出島」の緩やかな輪郭線と同様に
その電車軌道は出島のカタチに沿って走っている。
その反対側(扇の要に近いほう)には中之島川が流れ
先ほどの曲線よりもう少し急な曲線で護岸が築かれているが
出島らしい面影を残す部分でもある。

僕が住んでた頃、長崎で坂本竜馬はそんなに話題に
上らなかったような気もする。
三菱を創設した「岩崎弥太郎」は造船の町だからよく耳にした。
むしろ、グラバーやもう少し前の時代のシーボルトなどの方に
親近感を持っていた。

最近、出島を歩いてみた。
整備が進み、往時の面影がどんどん蘇っているそうだ。
まだ、発掘調査も行なわれている。
































鎖国時代唯一海外に向かって開いていた出島。
歩けばほんの数分で島の反対側まで行ける。
こんな小さなところにオランダ人のカピタンをはじめ
数十人の外国人と、通詞や日常の世話をする
日本人が暮らしていた。

カピタンの部屋は出島の一番外海に近いところにあるが
来る日も来る日も新任のカピタンを乗せた母国船を
椅子に座って待っていたようだ。


















知識に飢えた往時の日本人達。

今の僕はそんな未知の知識に対して貪欲になっているのだろうか?
流されていないだろうか。。。
まだまだ立ち止まるわけにはいかない。。。

出島にはそんな知識に飢えた人々の熱い思いが
まだ石畳や漆喰壁に息づいているような気がする。

雨の出島に佇む武士のようなボランティアのガイドさん。
あまりにも美しかった。
細身のその躯体が当時の武士姿のようだ。




































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