2013年4月7日日曜日

長崎のいくつかの事(3)



長崎と言えば「カステラ」、その中でも福砂屋と文明堂が特に有名ですが
この街のお菓子屋さんだったら、洋菓子店でも和菓子店でもみんな
お店で作ってます。カステラは和、洋、どちらに入るんだろう?
小さい頃はこのカステラの耳の部分がオヤツ代わりでした。














写真は福砂屋本店、ここの「五三焼き」カステラは本当に美味しい!

懐かしい味を求めてお店の横を東山手の丘へ向かって歩き出す。
石畳の階段を少し歩くと大徳寺という場所にたどり着く。
高校生の頃、おなかを空かした僕たちはよくここへ「梅が枝焼き餅」を買いに来た。
学校では下校途中に買い食い禁止だったから、お店の裏の見えないところで
よくパクついた。
























































その当時からずっとこの餅を作ってるおばあちゃんと懐かしく話をした。
あの頃とまったく同じ。注文してから餅をこね、こし餡を入れ
この焼器に入れて一気に焼きます。
当時はおなかを空かした学生だから、あっという間に食べたけど
今見たら結構大きい!4個からの注文だったので2~3人で頼んでた。

おばあちゃんから「あの頃、海星の学生さんはよう買いに来とったもんね、
今でも美輪明宏さんは長崎に来た時はよう買いに来なっとよ。あの衣装のままでさ。」
そうそう、美輪さんは海星の先輩。。。。です。
美輪先輩が買いに来る気持ちよくわかります。

このお店の横では秋の「おくんち」の出し物「龍踊り」(じゃおどり)の練習場所に
なってるようで保管してある倉庫には2匹の龍が収めてあった。














この辺りは江戸末期から唐人町と呼ばれたところで
多くの中国人が住んでいた。
今でも当時の建物がいくつか残っているが
長崎は和、華(中国)、蘭(オランダやポルトガル)と
色々な国の文化や風習が混ざり合って独特の街並みを形成している。




































神社の横に中国寺があったり、教会があったりするけど
なんの違和感もないです。それが長崎だから。。。
寺の鐘と教会の鐘が同時に鳴って、それに船の汽笛が鳴ったりします。

久しぶりに石畳の階段を息を切らして上がりきったところにありました
母校が。。。。














明治の頃に建てられた校舎は老朽化のため取り壊されてしまったが
同じデザインで最近建替えられました。
でも赤レンガ塀は当時のままで懐かしい。。。
パリのコルビジェの事務所で働いていた「早稲田大学の吉阪隆正先生」が
日本に戻ってきて初めて本格的な建物を設計した校舎もあって
それを見学したかったのだが、首尾よく門が開いていたので中へ入ってみた。

最近、男女共学になって女子サッカー部がグランドで練習していた。
先生らしき方がいらっしゃったので声を掛けた。
「すいません、卒業生なんですが、建物見せて下さい!」
「何年の卒業ですか?」 「昭和46年です。」
「私も46年です!」えっ、よく見ると同級生のYO君になんだか似てる。。。
「ひょっとしてYO君?僕、山口だけど。。。」「是彦ね?」

なんとまあ42年振りの再会!! 彼は神父になるため海星志願院という
修道院に入って勉強してた。そして上智大学の神学部へ進学した。

僕みたいなナンパな学生ではなく、しっかりとした目標を持って勉強していた。
当時から学校には神父様で教師をされていた方がたくさんいらっしゃったので
その道を選んだんだろうか。。。

その日は約束の時間が迫ってるとのことで、あらためてゆっくりと会うことと
校舎を見学させてもらうことを約束して、別れることにしたが少しだけ見せてもらった。






















































当時はこの穿たれた硝子の部分がステンドグラスになっていて
教室の窓には木製の「ブリーズソレイユ」などもありとても美しく、
マルセイユの「ユニテダビタシオン」の雰囲気がありました。

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