2013年4月13日土曜日

タイムトリップ



「故郷は遠くにありて思うもの」とはよくいったものだ。
離れて暮らす時間が長ければ長いほど、望郷の念は強くなる。
長崎を離れて42年という歳月が知らぬ間に流れていた。

今回、時間的な余裕があって少しだけあの頃に戻ってみようとした。
今ある街はその当時と違うところもたくさんある。
けれど匂いというか身体を撫でていく風や光はちっとも変わらなかった。

今にして思えば長崎人であったことに深く感謝している。

回り道をしながらも建築設計という職業にたどり着いた自分は間違ってなかった。
中学、高校時代、スケッチブックやイーゼルを肩に油絵のモチーフを探して歩き回った街並。
あの頃の独特の風景は知らず知らずに建築のディテールや色彩感覚を身につけさせてくれた。
東山手の洋館群や大浦の旧領事館跡、教会など子供にとっても刺激的な場所だった。
それこそ鎖国時代唯一海外に門を開いていた「出島」のように、
長崎の街は僕の建築の扉を開けてくれた「出島」だと思う。
そして40年ほど過ぎ、建築を通して自分が本物のポルトガルやオランダを
訪ねる旅を繰り返すことになるとは。。。
それらの国を訪ねるたびに僕は日本から来たとは言わず
「NAGASAKI」から来たと言っていた。









































































































長崎県立美術館を設計した隈研吾氏が、数年前幼い頃よく遊んだ稲佐山の中腹に
「ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート」というホテルを作った。

久しぶりの身内の家に帰るという行為を取り止め、彼の設計したホテルに宿泊してみた。
故郷という場所ではなく、建築や気候、風景を見学する場所として長崎を見つめなおしたいと
思ったからだ。










































なんだか香港にいるような錯覚を覚えた。
どこか混沌とした色々な文化が交じり合った街の中にいるのではなく、
少し距離を置いた自分が夜のプールサイドの向こうに広がる風景を、
異邦人として眺めてるような気分。
長崎弁がスラスラと出て来ず、頭の中で一度翻訳してしゃべっているような
そんなもどかしさを感じた。


部屋に戻るとある雑誌が置かれていた。
「楽・らく」という季刊誌で観光案内にはあまり出てこないような
長崎の事が書いてあった。こんな本を待ち望んでいたんだ。
大阪に戻り、早速創刊号から発刊されたすべての号を
取り寄せた。
ぽっかりと空いた過ぎ去った時間を少しでも埋めるため
今夜はこの雑誌を眺めてみよう。














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