2012年9月20日木曜日

思い出探し



長崎へ帰る際にどうしてもして尋ねてみたかった場所の一つが
小学生の頃遊んでた阿茶墓(あちゃばか)という外人墓地。
長崎には大きな外人墓地が2つあります。
一つは坂本外人墓地、そして稲佐外人墓地。
稲佐町というところにあります。
小学4年生までこの町に住んでました。
















悟真寺という唐寺の墓地で阿茶さんたちやロシア人の
墓がたくさんありました。

長崎では鎖国時代唐人の方たちを阿茶さんと親しみを込めて
呼んでたそうで、その名残で僕達も(あちゃばか)と呼んでました。

墓地の入り口には2つの池があり、そこで仲間達と
魚釣りをするのが楽しみでした。















今では蓮が群生し当時の池の風情は無くなりましたが
本当は遊んではいけない場所だったので、
大人が通りがかるとよく怒られました。
池の横の石畳を少し行くと今をときめく「福山雅治」さんの
実家がありますが、僕が遊んでた頃は勿論彼は生まれてません。小学校の後輩ではありますが。。。


















橋を渡って墓地へ入ると当時のまま墓石が並んでます。
当時は雑草は生えてなく土のままだったと思います。
不謹慎かも知れないけれど鬼ごっこなどをして遊んでました。

母親からは「阿茶墓で遊んで怪我したら治らんから行くな」と
ずい分脅かされてましたが、子供がそんなこと聞く訳がない。
学校から帰ると近所の子達と(あちゃばか)へ直行。














こちらはロシア人の墓地。
よく考えたら日本的ではないものが自分達の生活範囲に
たくさんあったんですねえ。
その頃は当たり前と思ってたことが、特殊だったのかも。
オヤツもカステラの切れ端や中国菓子の月餅、
「よりより」という小麦粉をねじらせて油で揚げたものなどを
食べてました。














40年ぶりくらいにこの場所を尋ねましたが、
当時大きなクスノキに登ると長崎の港が見えてましたが
やっぱり今も変らない風景がありました。
この木に登ったかどうかは定かではありませんが。。


















その後、高校時代お腹を空かしてはお世話になっていた
三八ラーメンへ行ってみました。
相変わらずの佇まい。。。














あたり一面に漂う強烈なとんこつの匂い。
これがたまらんのです。九州人はみなこのとんこつで
育ってますからね。郷愁の味なんです。














最後にミルクセーキを食べに(飲みにではありません)
喫茶ウミノへ。
長崎ではミルクセーキはスムージーのように細かく砕いた
氷と混ぜシャーベット状になってます。
なのでスプーンですくって食べます。
こんなの食べたの40年ぶりくらいじゃないでしょうか。
美味しかった。

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