2012年9月18日火曜日

記憶の色



連休を利用して故郷である長崎へ帰ってました。

一つは中学時代の同窓会に出席すること。
それから父母のお墓参り。

そして、僕が建築を目指すようになったきっかけの一つ
日本にガウディを紹介された故今井兼次氏設計
「日本二十六聖人記念聖堂聖フィリッポ教会と記念館」に
その「きっかけのかけら」を探しに行くことでした。
「かけら」は日本のサグラダファミリアといわれる教会の建築美、
そして記念館の中で使われていた「青色」のガラスです。


















この教会は1962年に完成しています。僕が10歳の時です。
































もともとキリスト教の遺品などを展示してある場所は
原爆資料館も含めとても怖い場所というイメージが
幼い頃はありました。だからなかなか訪れることが
出来ませんでした。
















当時油絵を描いてた僕は、モチーフを探しにこの教会へ
やってきました。陶器やガラスの破片を集めて壁を
デザインしてあることに興味を持ったのです。

そして、意を決して記念館の中へ入りました。


















入口を入ると正面の磔像が迫ってきます。
けれどバックのリズミカルなステンドグラスが
何故かほっとさせてくれたことを覚えています。
でも僕の記憶の中の残像である「ブルー」ではありません。

フランシスコザビエルなどのステンドグラスのブルーでも
ありませんでした。

そして階段を上がって2階へ。。。。
その階段の先に僕が求めていた「ブルー」はありました。


















「栄光の間」と呼ばれる部屋の祭壇に置かれた石碑。
二十六聖人が殉教した2月、その時期に咲く梅の花びらを
デザインした中央のガラスの色、それがずっと心の中に
記憶されていた「青い色」でした。
遠い記憶を辿るとずっと透明のガラスに囲まれた
「透き通るような青色」というのが残像としありました。

実際には御影石に囲まれていたんですね。
当時、外国人の神父様が説明をしてくださったことを
覚えています。
おそらく日本に帰化された「結城了梧」神父
(スペイン、セビリア出身)ではなかったかと思います。
この部屋のステンドグラスもすべて今井兼次先生が
デザインされたそうです。


















設計を始めてから長い間この「青色」を建物のどこかに
自分の痕跡として残してきました。
建築を強く意識する前からずっと透明感のある
その青を追い求めてきました。
それが何かわかっただけでも大きな収穫でした。

ずっと記憶の中にある青色のかけらが一体何だったのか
わかってホッとしました。
「父」、この「青いガラス」、それから「故吉阪隆正先生」設計の
我が母校海星学園高校の校舎が建築を目指す原点です。














二十六聖人のレリーフ裏側にある
「今井兼次」作のモニュメント。
26粒の葡萄と西坂の丘までの苦難の道が
デザインされています。

内部の写真は記念館に私の思いをお話して
特別に許可を頂き撮影しております。

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