2010年7月1日木曜日

鬼ノ城と版築




6月29日 「焼杉の家」で版築の施工をお願いする
左官屋さんと打合せのため、岡山県瀬戸内市牛窓へ向かった。

現場へ到着すると、工事担当の元浜組小橋さんと施工をしていただく
左官屋の親父さん(70歳くらいでしょうか)と職人さん(60歳前後かな)が
待っていて下さいました。

版築は久しぶりだということで、岡山県総社市にある鬼ノ城(きのじょう)まで
参考に版築を見に出掛けて下さってました。

ここはこの地方に残る「桃太郎話」のモチーフになったといわれる伝説の城だ。
「温羅伝説」というらしい。
この話をしだすと、また本題から外れて長々の文章になるため次の機会に。

さて、この城は山城であるため石垣と土塁(版築)で出来ている。
どちらかと言えば、少しずつ色々なものを混ぜながら突き固めて壁面を
デザインするなんて柔なものではなく、城を築くための土木工事としての版築だ。


                          写真提供 元浜組 小橋さん

だから、しっかりと突き固めてある。ところどころ石も組み合わせて強固にしてある。
材料は城の傍の土取り場から運んだらしい。
現在のこの土塁は総社市の教育委員会が中心になって、城の整備共々再建を進めているそうです。
土の色からすると山砂が主体で、それに石灰と塩分を混ぜているのだろうか。
「焼杉の家」では周辺が粘土質の赤土であるため、それだけを使うと粘りが強すぎて
さらっとした感じがでないのではないかと、親父さんはおっしゃる。
真砂土を混ぜた方がいいのではないかということで、石灰や苦汁の混合比率を変えながら
サンプルを作って貰う事にした。
牛窓は古くから塩作りが盛んで、近くには塩田跡が残ってる。
苦汁は高価なので塩ではだめかと言われるが、水分が抜けた後、表面に塩が吹いてくるのは
困るなあと思いながら、塩田があったのだから、苦汁くらい何とかなりませんかねえ。
岩塩を混ぜるところもあるらしい。
ブータンや中国内陸部なんか海の塩なんか取れないから、岩塩使ったのかも知れないあ。
版築に少し混ぜ物をしたいので、赤土を篩いにかけ残ったダマや小石を所々混ぜたり、
藁を小さく切って混ぜることもしてみたいとお願いした。
親父さんから「弁柄」混ぜたらどうかなと提案もあった。
弁柄は酸化第二鉄だから、色粉として使うのはいいかもしれないけど
あまり入れすぎると版築の強度が落ちるかもしれないので、ちょっとだけにしましょうなど、
大の大人4人で子供の土遊びの様相になってきたぞ!
でも京都嵯峨野の「落柿舎」を彩っていた「鉄粉入りのじゅらく壁」が妙に心に残っていて
何かそんな表情が出る仕上げも間に挟んでみたい。
一つだけどうしてもお願いしたことがあった。
それは施主のお母様から、石灰の代わりに「貝灰」を使ってもらえないかと言われていること。
この辺り牡蠣の養殖も盛んで、牡蠣の殻がたくさん出るはずなんですが、
どこかで加工していないもんなんでしょうか?
小橋さんより、なんとか検討してみますとの返事をいただいたのだが。

打合せが終わると、いつもバタバタと大阪へ帰ってしまうのだが、
現場から歩いても行けるところに手塚貴晴、由比さん設計の
「牛窓のアトリエ」がある。
ちょっと見学させていただこうと思い、立ち寄らせていただいたのだが
残念ながらお留守で、遠目に外観の写真を撮らせていただいた。
外壁は手焼きの焼杉です。
また石井和絃さん設計の牛窓「交流ヴィラ」も道沿いにあります。
ちなみに施工は「焼杉の家」の施工をお願いしている元浜組さんです。

「牛窓のアトリエ」

瀬戸内海が一望できるすばらしい立地に、他を寄せ付けないような強さで建ってます。











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