2010年3月22日月曜日

雑草

 

事務所の前庭は土を攪拌して、数種類を混合した芝生の種を蒔くのだが
種の中に一般に雑草と呼ばれる種が混入している。

洋芝は温度が10度以下になると発芽しないため秋に種を蒔く。
秋に芽を出した芝は冬の間枯れずに成長する。だから事務所の庭は
冬の方が 緑が豊かになる。

しかし、冬が終わりに近づき、日差しが強くなる頃、芝生の間から雑草が芽を出す。
いよいよ出てきたかなと思う間もなく、あたり一面雑草だらけになってしまう。
ここから芝生管理をしているスタッフK君の悪戦苦闘が始まる。
私も手伝って草引きをするのだが、とても追いつかない。
抜いても抜いてもまた翌日には新しい芽が出てくる。
少し放っておくと えらいことになってしまう。

「雑草」とは人間の生活範囲に人間の意図にかかわらず自然に繁殖する植物の事ある。
Wikipediaにはそう書いてある。特定の分類群を示すものではないが、人間の活動によって
強く攪乱を受けた空間を生息場所とする点で、共通の生態学的特性を共有することが多い。
転じて、重要視されないたくましい存在として、比喩に用いられる。

これらは分類上は多種多様な植物からなる群であるが、繁茂状況によってはこれらに付随して
生息する動物群も存在し、昆虫やそれらを餌にする蜘蛛などの節足動物・ネズミ等の
小型哺乳類・小型の鳥といった小動物が生活する格好の場所を提供するとも書いてある。

確かに庭には小さな昆虫類がいるし、それを捕食するスズメ、キジバトなども我が庭には飛来する。

その雑草の定義のなかに以下のようなことが書いてあった。
「畑、果樹園、庭園、芝生」など、人間がある特定の植物の育成を目指してる場所へ、
人間の意図に反して勝手に侵入し、成長、繁殖する植物。繁殖が激しく、狙いとする植物の
育成に邪魔にある場合、集中的に駆除の対象となる。

うーん!まさにその通り。K君と私は雑草にとって憎たらしい敵そのものだ。
このままほ放っておいたらどのように変化するのか試してみたい気もするのだが
日々管理しているK君に許してもらえそうにもない。

進化論的なことまで踏み込むと面白い話がたくさんあるようなので、
そのあたりはまた次の機会に書きたい。

昭和天皇は「雑草という名前の草は無い」と仰られたそうだが、どんな草にも名前があり
人間の都合で邪険に扱うような呼び方をすべきではない、という意味。
和辻哲郎も「ヨーロッパには雑草がない」とヨーロッパへ向かう船上である生物学者から
聞いたとある本に記している。


 

数年前、そのK君とドイツ、オランダを旅した折、ベルリン郊外の新しい
建築群を見に行ったのだが、その現代建築の周りに日本では雑草と
呼ばれるような植物が密生していた。
しかしそれは引き抜かれることも無く小さな紫や薄紅、黄色などの
花を咲かせており、モネの有名な「日傘」の女性の足元を彩る草花と
イメージが重なり、とても美しい風景になっていたことを思い出す。



明日の朝、出勤したら庭の手入れをしているであろうK君と
この話をもう一度してみようか。彼も覚えてくれているといいのだが。。

でも芝生の合間からどんどん芽生える植物達を見ると可哀想だけど
無性に抜きたくなってしまうんだよなあ。


  

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