2009年10月10日土曜日

恩師との再会


先日、長崎の中学時代の恩師から近々に関西へ行くので会えないかと
ご連絡をいただき、昨日なんと41年ぶりに再会することができた。

昨年、私的なことで卒業以来始めて連絡をいただき、あの頃とまったく変らぬ声で
「ガマ君」と呼ばれ無茶苦茶緊張したことを覚えている。
中学時代いつの頃からか僕は「ガマ」と呼ばれるようになった。

僕は中学2年の夏まで美術部に所属して油絵を描いていたのだが、
ある夏の日の放課後、デッサンをしている教室の窓の向こうで男子バレー部が
汗と土にまみれながらボールを追いかけていた。
親友がバレー部に所属していたのだが、その彼が絵を描いている僕を見つけ
2年生が8人しかいなくてチームが組めないから入部しろと誘ってきたのだった。
古い話で恐縮なのだが、その当時中学のバレーは9人制で前衛、中衛、後衛に
わかれ各自ポジションを変更することはなかった。

何故その時「いいよ!」といってしまったのかわからないけど、翌日から
僕はバレー部に所属することになって中衛というポジションを与えられた。
しかしいきなり運動部に入ったものだから、初日の練習が終わる頃には
手足は擦り傷だらけ、筋肉痛で足が上がらず親友達に引きずられて
なんとか家にたどり着いた記憶がある。

恩師はそのバレー部の監督で、前年「長崎大学」を卒業され教師になられた。
最初の赴任校が僕達の中学だった。監督最初の年、僕らの1年先輩達は
長崎市の体育大会で優勝して恩師は同僚からすごいことだと言われたらしい。

翌年、僕らは身体も小さくあまり期待されていなかった。案の定1回戦でボロボロに
負けたのだが、なんと敗者復活戦で勝ちあがり本命に圧勝してとうとう優勝してしまった。
おまけに県大会でも優勝してしまい九州大会まで出場した。
そんな優勝チーム今までなかったらしく、恩師は一躍注目の人となってしまった。
そのことが思い出深かったのかいつまでも覚えてくださっていた。
奥様にも1度だけ高校1年の時、結婚されたお祝いにチームメイト全員で新居に
ムリムリ押しかけ、お会いしたことがあるのだがその時以来の再会であった。

本当にお元気そうで素直に嬉しかった。ハリのある声も昔のままで懐かしく
当時のチームメイトの名前を書かれたメモを持参され、一人一人の消息を
尋ねられた。9人のほとんどと今でも交流があり、それぞれ活躍していると
伝えると、とても嬉しそうにされ何度もうなずいておられた。

先生、奥様いつまでもお元気でいてください。
お会いできたことチームメイトにちゃんと伝えますから。
あのときの負けん気があったからこそ、なんとかやってこれました。
先生、本当にありがとうございます。

写真、ブログに載っけちゃいましたけどいいですよね!


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