2009年8月16日日曜日

清児


タイトルの「清児」ってなんと読むかご存知でしょうか?

せいじ?きよじ? いえいえ 「せちご」と読むのだそうです。
ここは貝塚市にある水間鉄道という私鉄の「清児駅」

この名前の由来は行基が観世音菩薩を求めて当地に巡来したとき
十六童子が現れて奉賛したところ行基が「清らかな稚児たちよ」と
褒めたたえた、その清らかな稚児が清児となったそうだ。


ご覧のように駅は無人駅で西側には集合住宅数棟が建てられた何の変哲も無い郊外駅です。

大阪府の高校生、短大生、専門学校生向けのコンペ「あすなろ夢建築コンクール」と
いうのがあるのだが、昨年の課題が駅西側にある府営団地の地域会館を
設計するというもので、学生たちと現地調査に訪れた。その際、調査地とは別にとても気になる
集落を駅の反対側に発見したのだが、そのときは時間がなく又あらためて訪ねようと
思ったまま一年近くが過ぎてしまった。

お盆休みの土曜日、堺で工事している現場の状況を確認しようと思い立ち、
その足で念願の「清児」へ 出向くことを計画したのだ。

清児駅から車も入れない幅90センチ程の地道がその集落へ続いている。
20メートル程路地のようなところを歩くと車が一台通れる程のメインストリートにぶつかる。
それが下の写真。なんと風情のある街並みなんだろう。アスファルト舗装してなければ
古い時代に迷い込んだような錯覚を覚える風景だ。

  
こんな風景があちこちに点在している。
メインストリートからちょっと路地に曲がってみると本当に狭い道が続く。
軽自動車がやっと通れる道があり、その先はもっと細い幅90センチ程の路地が
左右に折れ曲がりながら迷路のように続いている。何処へたどり着くのかわからないが
とりあえず前へ前へ進んでみる。
それにしても辺りは門構えも立派な古い大きな家ばかりだが、何故こんなに密集して
大きな家が立ち並んでいるのか不思議でしょうがない。お盆のせいか人影がなく
辺りは静まり返っている。

  
やっと一軒の家の納屋でお婆さんが仕事をされていたのでお話をきく。
ここら辺りは何か特別ないわれがありそうですねと尋ねるが「別に何にもないよ」と
素っ気ない返事。
ここらは昔から農家ばっかりでみな百姓だとおっしゃる。
それにしても門構えもりっぱで裕福そうなお宅が多いですねというと
昔は収穫した作物を中庭に広げ、そこで仕分けなどの作業をしていた名残らしい。
今ではほとんど使わなくなり植栽をして庭園風の前庭になってしまったそうだ。

  
これは推測だけど、普通農家は「散居」と言われるように家の周りに自分の農地を囲い
それぞれ分散していると思うが、このあたりでは集まって住むことで敵から身を守って
いたのではないだろうか。盗賊などが集落に入り込んでも迷路のような細い道が
直角に曲がりくねっており、馬も馬車も入れず身動きが出来ないような構造になっている。

城の構築に似ているフシがある。ちゃんと調べてみたら面白い事実がわかるかもしれない。
建築の設計の仕事をしてますと話すと、お爺さんがいる時にまた来なさいと
仰っていただいたので、あらためてお伺いしたいと思う。

少しの時間ではあったけれど、タイムマシンで旅をしている気分になってしまった。

  
手の込んだ外塀や窓周りの細工が歴史を感じさせる町並み。古いものを大事に守っている
愛情を感じる風情。右の写真の窓、外側に面格子のようなものが取り付けてあるが、
板に「千鳥模様」を打ち抜いてありしっかりしたデザインになってます。

   
塀には猫用の入口も付いてます。 右は「おくどさん」か「五右衛門風呂」の残り灰を掻き出す扉だろうか?
路地に面して取り付けてあり「火の用心」の文字がいい味だしてます。


道が狭いので曲がり角の土塀は隅切りをしてある。壁を壊さないよう
配慮してありそれぞれの趣向がこらしてある。
人々が町を心底愛してるような気持ちが伝わってくる。

久々に観光地化していない伝統的な日本の町並みを見たような気がして
心が豊かになった。探せばまだまだこんな集落が日本にはたくさんあるのだろうな。

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