この2つの写真は僕の母校、長崎海星学園高校の卒業アルバムを撮影したものです。
建築に興味を持つ中で、僕のその後の人生に大きな影響を与えた学校です。
学校は東山手という明治の木造洋館が立ち並ぶ中にあり、隣接して1910年代の
ヴォーリズ事務所の主要メンバーであったJ.Hヴォーゲルが設計した活水女学院があり、
2校ともオランダ坂を上ったところ、港を望む高台にありました。
左側の写真は学校の本部で、中に修道院(海星志願院)、神父様たちの住い、
礼拝室などがあり、僕達生徒は簡単に内部に入れませんでした。
学校のシンボルのような存在で、色々な行事がこの建物の前庭で行われました。
設計したのはマリア会のフランス人神父ヨゼフ・セネンツ。
明治30年着工 同31年完成。その後、大正7年に1フロア継ぎ足し
写真にある4階建ての建物になりました。
残念ながら平成元年に老朽化のため解体され新しい建物に生まれ変わりました。
学校へ登校してくるとこの建物が赤レンガ塀沿いに見え隠れし、その風景が
たまらなく好きでしたし、海星の生徒であることを誇りに思っていました。
右の写真の建物は中央校舎棟です。僕は随分後になって知ったのですが、
設計は早稲田大学の故吉阪隆正先生です。
先生はフランスに留学中ル.コルビジェと出会い、彼の事務所で2年間働き
帰国された後、1957年にこの校舎を設計され1959年に完成しています。
なんでも海星の姉妹校である東京の暁星学園の卒業生という縁で白羽の矢が
たったと聞いています。僕は1年生の間この校舎で学びました。
窓はモデュロールで割付された木製で大きな開口部があり、南山手の大浦天主堂や
グラバー邸がガラスの向こうに見えていました。廊下の端部にはロンシャンの教会の
ように小さな開口部が穿たれ、ガラスが嵌め込まれていました。普通の学校の校舎
とはすこし趣の違う校舎で、今思えばコルビジェのテイスト満載の建物で
学生時代を過ごしていたことになります。
すごい環境で学んでいたんだとあらためて驚いています。
他にも明治時代の木造洋館の中等部寄宿舎(全寮制)などがキャンパスに
点在していました。
今年の夏、学校の許可を得て、この中央校舎の内部を見学させていただくことに
なりました。あの頃を思い出しながら校舎を散策できる喜びを一人かみしめています。
見学の報告はまたその時期に、長崎の風景とともにブログに書きたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿