僕は高校卒業まで長崎で過ごしました。小学生の頃から絵を描くことがとても好きで、
将来は絵描きになりたくて ずっと美術部に所属して油絵を描いてました。
長崎は幕末から明治にかけての洋館が点在し、絵になるモチーフがたくさんあり
題材には事欠かない街でした。でもそれはあくまでも絵の題材であり、
建築という眼では見てなかったように思います。
小学校3年生の時、父は家を建てる決意をしたらしく、あちらこちらと土地探しが始まりました。
父はM重工業長崎造船所に勤めており、精密な作業が好きで時計を組み立てたり、
ラジオを作ってたりしていましたので、家を建てるとなると家族の家は
自分で計画したかったようです。
そして長崎港が見渡せる西坂の丘近くの高台に土地を確保したのです。
今から47~8年前の事なので、あまり細かいことは記憶していませんが、
大工の棟梁と毎晩遅くまで座卓に向き合い打合せをしていました。
長崎は坂の街です。当時家を建てるには重労働がつきものでした。
建築資材を人間が運ぶには限界がありましたので、
木材や砂、瓦などを荷役馬の背中に載せ少しずつ運び上げました。
毎週日曜日になると父が建築現場へ行くので、いつも家族一緒に出掛け
少しずつ我が家が出来上がっていくのを見学していました。
いつも何か手伝うように言われ土壁の材料のワラスサを運んだり
つのまた糊(漆喰壁に混ぜる糊)を炊く手伝いや砥の粉を
柱に塗る真似事をしたりしてました。
1年ほどして父の自慢の家は完成しました。
子供たちの部屋も狭いながらちゃんと確保し、庭に面した日当たりのよい応接間もありました。
出来上がった家をあちこち眺めて特に格好いいなと思ったのが居間の天井でした。
子供ながらとても繊細で美しいデザインに思えました。
後年父から教えてもらったのですが、「船底天井」という仕上げ方法でした。
さすがに造船技師です、家の天井まで船をモチーフにするなんて!
でも本当にそこまで考えて計画したのか、私が大学生になったばかりの頃
他界してしまったので父にはそのことを聞き損ねましたが。
建築に目覚める理由は人それぞれあると思うのですが、
僕の場合最初のきっかけが父の設計した「家族の家」ではなかったかと思います。
新しい家が出来て、家の細部や庭、自分の部屋のしつらえを見て、新しいアイデアを
考えるという楽しさを覚えていきました。
長崎を離れ住宅設計の仕事を始めるようになったある日、
帰省した実家の居間に寝転がり、天井をぼんやり眺めていると
小学生の頃カッコいいと思っていた船底天井がそこにありました。
20年以上の時間が過ぎていましたが、とても新鮮に見えましたし、
そこに父がいて僕を優しく見守っているようなまなざしを感じました。
そして「おまえはお客様に喜んでいただける仕事をやっているのか?」
と問われているような気がしたのです。
船底天井はその後、和室をデザインする際に少しずつアレンジしながらも
父からずっと引き継いでいる僕の仕上げ方法の一つになっています。

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