2015年6月27日土曜日

生命を作る



今朝、アトリエへ向かう道沿いにある、デイケアセンターの出入口傍に
茄子の鉢植えが置いてあり、小さな紫色の花を咲かせていた。

鉢植えであること、太陽光の日の強さもあるのだろうか、
何故か弱々しく見えた。

昨日、あるお客様の敷地を見に、郊外の田畑が点在する場所へ伺った。
そこには、少量ではあるけれど茄子や胡瓜、
トウモロコシなどが自家消費用に栽培されていた。
家族が美味しく食べられるように、丹精込めて栽培されているのであろう、
その野菜の花弁はこれから実を付けるために精一杯美しく輝く色をしていた。
鑑賞用ではないこの野菜たちの生命力溢れる葉脈や花弁、
受粉を誘う雄蕊、雌蕊の魅力的な色合いなど
生きた野菜達に感動してしまった。
有機栽培のようで、葉のあちこちに虫食いも穴が開いている。


























































茄子の枝や葉脈がこれほど深い紫色をして
艶々しているのは最近あまり見たことがない。
胡瓜だって蔓や小さな実のイガイガが生き生きしている。
きっと野菜本来の味がして美味しいに決まっている。

幼い頃、住まいの小さな菜園には色々な野菜が植えられていた。
母は兼業農家の出身で、女学生の頃、米や野菜の世話をしていたので
菜園で野菜を作ることは日常生活の一部であり、
大事な食糧の一つだったのだろう。

僕は、お腹が空くと庭の野菜を収穫してもらい、裏の井戸水で少し冷やした。
胡瓜は表皮のイガイガがちょっと痛かったが、
ヘタを切り、実と白い泡がでるまで擦り合わせた。
それから包丁で荒く剥いて、手に塩をこすりつけ、両手て胡瓜を揉んだ。
それをガブリとかじれば、青臭い胡瓜の匂いとちょっと甘い味がした。
実も大きく曲がった、芯の種の部分もたくさんある、
今どきのスマートな胡瓜とは違うが、何とも言えない夏の匂いがした。
冷やしたトマトは砂糖を付け丸ごとかじった。
ヘタに近い部分のトマト特有の青臭さは、今でも脳裏にしっかりと記憶されているが、
あんな陽の光の味がするトマトは何処へ行ったのだろう。

大きな茄子は炭で焼いて、水に浸け「熱い熱い!」と言いながら皮を剥かされた。
醤油に砂糖とみりん、煎り胡麻を荒く潰したタレが茄子の上にかけられ
ささやかな食卓を飾った。

農家であった祖父の家に行くと傍に、近所の人が作った野菜を販売する店があり、
10円玉を握りしめて駆け込む。黄色いマクワ瓜を買うためだ。
丸ごと一つをかじる。芯にある連なった種を片手で取り除きながら、
それほど甘くはない白い身の部分に食らいつく。
どちらかと言えば甘い野菜というものだろうか。

 (インターネットの写真より)

青々とした水田の畦道に腰を下ろし、心地よい風に吹かれながら
黄色の瓜を食べることが最高の幸せだと思っていた。

幼い頃、素性のはっきりした食物を食べる機会が
今の子供たちより多かったかも知れない。
素材の持つ本当の味を都会の子供よりたくさん経験したかも知れない。
駄菓子屋で何が原料かわからないお菓子はあまり食べなかった。

それは今の健康な身体を作る基礎材料になったのだと思う。

命をつなぐ太陽の光を存分に浴びた食物を、
たくさん食べられたことにとても感謝しています。



0 件のコメント:

コメントを投稿