2013年9月28日土曜日

軍艦島(端島)
















今夏、台風通過後の軍艦島

長崎市の郊外、野母半島(長崎半島)の先端近く、
脇岬から北へ4~5キロの海上に浮かぶ小さな島です。
石炭を掘るために岩礁の上に作られた人工の島ですが
廃墟となってしまったこの島はこのところ世界遺産登録や
建築の世界で色々話題になっています。

この島は私が大学進学のため長崎を離れて3年ほどして鉱山が閉山となり、
すべての島民が島を離れ無人島になってしまいました。

高校や大学の頃、夏になると長崎の街から海岸沿いに
半島の突端にある野母崎町まで友人達とバスや車に乗り
海水浴によく出かけました。
その折、峠を越えたあたりからこの島影が見えてきます。
野母崎に到着するまでずっと右手に見えているのですが、
いつも特別な存在としてずっと見つめていることが多かった。
手の届きそうな距離にあるその島は近くて遠い島でした。

高校生の頃、軍艦島(端島)から進学や甲子園を目指して
下宿している同窓生もいました。
当時在校していた海星高校は野球の名門で、よく甲子園に出場してました。
しかし、ほとんど平地の無い島で、ちょっと油断すると
ボールがすぐ海へ落ちてしまうそうで、野球をやること自体大変だったようです。

「一回、島に遊びに来んね、軍艦島も面白かよ!」と誘ってくれた友人もいました。
長崎は離島が多いのに、僕は船で離島に渡った経験がほとんどありませんでした。
五島や平戸など島に住んでる親戚がほとんどいなかったこともあり、
船はいつも眺めるだけのものであり、大波止や大浦の桟橋から出航する
離島行きの船を羨望のまなざしでいつまでも見ていたような記憶があります。

一度だけもう少し北の方の島で同じ石炭を採掘している松島という島へ
父親と渡ったことがあります。
港へ近づくと岸壁にたくさんの石炭が山積みされ、海は石炭の滓でしょうか
黒く濁り、見慣れない重機が走り廻っていました。
そのような光景を見て何か異次元の世界に来たような印象を受けました。

ある意味、軍艦島も高層のアパートが建ち並び、異空間のように思えて
島へ渡るという行為に怯んだのかもしれません。

今にして思えば「残念な事をしたな」と後悔しています。
建築世界に身をおくことになって、世界一過密都市であった軍艦島の生活や
コミュニティがどのようなっものであったのか、肌で感じる機会を逃してしまいました。

でも故郷が無くなってしまった同窓生達はどんな思いでいるのだろうか。。。。
最近は見学のために軍艦島へ渡る事ができるようになったようですが。。






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