2013年6月13日木曜日

料亭 一力(長崎)



最近、故郷長崎のことが気になって仕方がない。
特別に何がということではないのだが、
時々帰ろうかなあと思ったりする。
実家に帰りたいというのではなく、長崎に帰りたいのである。

長崎の空気を胸いっぱいに吸いに帰りたいのだ。
DNAを覚醒させたいのだろうか。。。。

ある雑誌をパラパラ捲っていたら、「料亭一力」のことが書いてあった。

思案橋から鍛冶屋町を抜けて東へ歩いていくと古い寺院が軒を連ねる。
その中には重要文化財「興福寺」など1600年代に建立された
唐寺などがあるのだが、家族で寺町界隈を通るたび、
父が「ここが卓袱料理ば食べさせる料亭 一力 たい」といつも話していた。
勿論、当時慎ましやかな家族が行けるようなお店ではなかったが、
子供心にどんなお店なんだろうと興味深々であった。

本当は父も家族を連れて行きたいと思っていたのだろうが、
結局、両親が生きている間に家族で食べに行く機会はなかった。














一力は創業が文化10年(1813年)、丁度200年ほど前に開業している。
この寺町の石畳の階段を上がると「亀山社中」があり、坂本竜馬、高杉晋作、
伊藤博文などがその頃この店に出入りしていたという。

美味しいものは大阪や京都でいくらでも食べることはできるが、
長崎独特の卓袱料理はやはり地元でなければ食べられない。
そこで20年振りに伺ってみた。

卓袱とは中華料理の円卓のことで、上座下座の区別がない。
それは当時、武士も町人も、オランダ人も中国人も同じテーブルで
分け隔てなく、大皿に盛られた和洋中の料理を和気藹々に食した。
オランダの「ターフル料理」というのがベースになっているそうだが
要するにみんなで大皿から料理を取り分ける長崎でいう「おもやい料理」だ。














女将が口上を述べ「御席にどうぞ」と言われるまで、
円卓の周りに座ってはいけないそうだ。

一力でも女将が挨拶に来られた。
まずは「お鰭」という吸い物で乾杯し料理が始まる。
お酒もこの吸い物を飲んでからでないとダメらしい。
本来は椀から魚の尾鰭がはみ出すように入れると聞いたことがあった。
魚を丸1尾料理に使い、おもてなしをしますという意味らしい。
すべての料理をアップするつもりはないけれど、長崎独特のものを載せます。

こちらは今で言う八寸のようなものでしょうか。
和洋中が混じりあったお皿です。(すべて二人前)














魚のお造り以外に鯨の色々な部位が出ます。幼い頃よく食べた懐かしい味です。
生姜醤油の他に酢味噌で食べます。














下は海老のあじさい揚げ(海老のすり身に細かく角切にしたパンを付けて
揚げたもの)とハトシ(蝦多士)。
ハトシは中国や東南アジアでよく見られるパンにエビのすり身を挟んで
揚げたもの。長崎では家庭でもよく食べられる料理だが、貿易を通じて
中国から入って来たものと言われている。














それからご存知 豚の角煮、これはいつ食べても美味しい。














伊勢海老を和風、中華風に料理して一皿に盛り付けるのが
長崎流。。。。
しかし今見るとお皿が全部 蛸唐草だったんだな、気が付かなかった。














他にも色々出てくるのですが、最後に必ず出されるのが
桜の花びらが浮いたお汁粉。














お鰭で始まり、お汁粉で終わるのが卓袱料理なんです。

長崎の歴史や伝統、しきたりをもう一度おさらいしたような
一力での食事だったが、唯一海外に開いた出島や幕末の頃、
錚々たる人達がこの座敷で激論を戦わせながら、
料理を食べていただろうことを思い浮かべると、
この街に生まれ育ち、異国の文化が知らぬ間に身についていたことなど
それはこの身体を流れる血となっているのだろう。
だから、時々肺の奥底までこの街の空気を送り込まないと
窒息しそうになるのかもしれない。

今度はいつ帰れるのだろうか。。。。

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