2015年4月28日火曜日

高松市へ向かう!



数日前、香川県高松市へ出掛けていました。
無論遊びではなく仕事です。

高松へ行く方法は幾つかあるようです。
新幹線とJRを乗り継いでいく、フェリーなど船で行く
高速バスに乗る、マイカーで行く等々。

今回は高速バスにしたのですが、
長距離バスに搭乗するのは初めてでした。
何故かといえばこれから先、
幾度となく来なければならないような気がしたことと、
それに経費節減です。
おおよそ3時間程の行程ですが、
色々と考え事や仕事が出来ます。そして楽ちんです。

今回高松に伺ったのは、
住宅を建てたい方がいらっしゃったからですが、
お会いするまでにメールのやり取りをして、
互いの情報を交換しておりました。

それでも初対面というのはどこか緊張します。
仲人のいないお見合いみたいなものですと、いいつつ
実のところお見合いは経験したことがないので
どんなものなのかは知りません。
ただ打ち解けるまでは、なんだかお見合いみたいなものでしょう!

計画されているのは宅地に地目変更した写真の畑です。
奥のお隣の敷地に棕櫚の木数本植えられています。
もうずいぶん大きく成長した棕櫚ですが
その生え方というか育ち方がバラバラなのが
味があっていいです。






























この棕櫚のずうっと背後には3角形のおにぎりの形をした
小さな山があります。
2階の部屋からこの棕櫚が見える風景を上手く切り取れば、
ハワイのように見えそうです。

畑にはえんどう豆の花が咲いていました。美しいです。
これを品種改良すれば「赤いスイトピー」のようになるのでしょうね。




















辺りには燕が飛んでいます。
燕が鳴きながら飛ぶ光景は初めて経験しました。
長閑な風景ですが、お施主様曰く、
この辺りも随分と宅地化してきているので、
こんな風景もいつまで見られるかわからないそうです。

私が呼ばれたのですから、自然いっぱいの
素朴な家を計画して欲しいということではなさそうです。

ヒアリングをして要望事項をまとめながら
30代ご夫婦の新しい住まいの形を考えています。

帰りの電車、琴平電鉄の「高松築港」行きが到着したようです。
この電車に乗り、まずは高松駅まで戻りましょう。
2両編成ののんびりとした電車です。
色使いも何かのんびりしているように見えませんか?

2015年4月22日水曜日

トヨクニ ハウス



昨日、現地調査で久しぶりに都島区へ出掛けた。
調査を済まして、天気も良かったから、
昔の知り合いが住む高倉へ歩き出した。

ある事情があって、もう二十数年会っていない。
過去のことは時が解決しただろうと思い、
無性に会いたくなって自宅を訪ねてみることにした。
この辺りは風景が様変わりしていた。
残念ながら、知人の住まいも取り壊され無くなっていた。

仕方なく、知人の家があった通りを駅方向に向かって歩く。
交差点で、何気に見た風景が「ズン」と心の中に入り込んできた。
東京の原宿や代官山にあった同潤会アパートを
彷彿させる建物がそこにあった。
20年前、この建物がこんなところに建っていたという記憶が全くない。

大学生後半から社会人になったばかりの頃、
僕は東京、南青山の古いアパートに住んでた。
昔、ショーケンや水谷豊が出演していた
「傷だらけの天使」というドラマがあったのだが
そのショーケンが住むアパートに雰囲気がよく似た建物だった。

今、見上げる建物はその雰囲気を充分に醸し出している。


































階段上の庇には「トヨクニ ハウスA」と
錆びついた看板が付けられていた。
近づいて階段を見上げると、
2階には左右に木のドアがあり、
天井からはアンティークな照明が吊るされていた。




















懐かしさと味のある趣に暫し見とれてしまった。
4棟ほどある建物を、お気に入りの女性を見まわすように
グルグルとまわって眺めていた。


















































































僕自身、40年以上前の僕にタイムスリップし、
あの頃の日々を思い出していた。
港区南青山7丁目。。それが住所だった。

石鹸と桶、タオルを片手に青山通りを横切り
今はもう無くなったが、紀伊国屋スーパーの裏手にあった
銭湯へ通った。今は首都大学東京のキャンパスになってるけど。
信じられないけど、青山通りの直ぐ傍に銭湯があったんだ。
僕のアパートはその青山通りから六本木、高樹町へ抜ける
骨董通り沿いにあった。
1階にはブティックとブリキのおもちゃ屋があり、
2階には6畳一間の部屋が6つほどある、古いコンクリートのアパートだったが、
面白い住人が何人も住んでいて、夏の暑い日は3階建ての屋上に
椅子を持ち出し、みんな上半身裸になって身体を焼いた。

2部屋に1台電話があり、どちらかが使いたい時や、
電話がかかってきた時、自分宛でない時は相手に繋ぐ。
僕が一緒に使っていた相手は、中々売れない歌手だった。
ずいぶんモテていたようで、僕をその歌手と間違って
電話口で泣かれたこともあった。
歌手を続けるか、辞めて実家に帰るか最後の賭けをすることになった時
曲を書いてくれたのは松〇谷〇実さんだった。
発売の日、出せるお金を全部叩いて僕はレコードを買った。
それでもだめだった。。。半年を過ぎた頃、
彼は故郷の奈良へ帰って行った。
今はサンフランシスコで成功している親友の「HISASHI」も、
当時は自分のねぐらがなく、僕のアパートへ転がり込んでいた。
貧乏だったけど(それは今も変わらない)何もかもが青春していた。。。。

そんなほろ苦い思い出に、この建物は瞬時に接続してくれる。
大阪で戦前から人が住むコンクリートの集合住宅は
この「トヨクニ ハウス」が一番古いらしい。
もう80年ほど経過しているそうだ。
残念ながら、老朽化のため新たな募集はしていないらしいが、
もし住むチャンスがあるのなら、一番に手を挙げたい。

2015年4月18日土曜日

竜骨階段



住宅の階段は単なる機能だけにしてしまうか、
存在感を持つ一つのオブジェのように計画するか
配置される場所にも左右されるけれど、
僕は階段には何故かこだわってしまう。

階段は日々使うものだから、
上り下りがスムーズでないと作る意味がない。
また、フワフワとか、ビビるような振動があっても困る。

階段を作る時、キール(竜骨)構造の階段をよくデザインする。
がっちりした図太い骨格の階段ではないが、
段板(踏み板)を受けるブラケットとそれしっかりと固定する
竜骨の組み合わせがとてもスマートに見える。
何となく華奢に見えるけれど、安定していて美しいと思う。

最初にキール構造の階段を作ったのは、
13年程前のメゾネットタイプの集合住宅だった。
木製踏み板のらせん階段なのだが、
通常螺旋階段は中央の支柱から支持し、
それぞれの踏み板を持ち出す。
柱を中心にして上り下りするのですが、
僕の階段は中央の支柱は手すりを固定することに専念させ
踏み板そのものは板の裏側の中央に通した2本の細いパイプで
重さを支え強度を出すように考えた。
写真でわかると思いますが、段板は支柱から離れています。
製作する加工屋さんは大変だつたらしいけど、
とても美しいと思う。




















調子に乗って、同じ建物の1,2階にある会社の階段も
キール構造の階段でデザインした。
「ドラゴンスパイラル」と名付けたステンレスの階段。
ちょうど龍が空に駆け上がって行くイメージで、
会社がどんどん成長していくことを願って。。。




















その願いが叶って、
今では年商数百億を売り上げる企業となられた。
創業者の方はエレベーターもあるのだが、
日々この階段をお使いになられている。

その後、竜骨階段は設計させて頂く住宅プロジェクトで
少しづつカタチを変えながら進化している。
現在計画中の住宅ももちろんキール構造の階段を考えている。

時々、僕もこの階段を上って近況報告に伺います。

その度、僕もこのドラゴンの背中に乗せてもらい
大きな世界へ早く羽ばたきたいと、
心の中でお願いしながら一歩づつ上っていく。


2015年4月5日日曜日

常緑樹と言えども。。。






















春になり、桜が満開になる頃、
庭の「ナナミの木」は次々と葉を落とします。
一年中青々とした葉を付けていると思われがちな常緑樹ですが、
彼らも新陳代謝のために古い葉を落とします。

新芽が出てくるこの時期に葉を落とすのですが、
ほとんどの葉が入れ替わるので、
毎朝、落ち葉の片づけが大変です。
緑の葉が黄色くなると、落葉する合図です。
写真を撮っている間にもパラパラと落ちてきます。
まるで晩秋の紅葉の終わりのようです。




















いつも庭を掃除しながら思うのですが、
この木と同じように僕も苦しいことや、
思い悩む事をきれいさっぱり、落ち葉のように、
心の足かせがこの身から取り除けたら
新しい自分に生まれ変われたら
どんなに精神が楽になるだろうと。。。。


人生を賭け選んだ職業を全うするには
そう簡単に道筋がつくわけはないのですが、
前向きに、ひたすら前向きに進むしかない
苦行の道はまだまだ終わりがないようです。