2015年1月24日土曜日

ブログの更新について。



ブログを閲覧して頂いてる皆様、大変恐縮ですが、
写真をアップする機能の調子が悪く、
このところ更新出来ておりません。

誠に恐縮ですが、機能が回復するまで
今暫くお待ち頂きますよう、
宜しくお願い申し上げます。

スタジオ クランツォ1級建築士事務所
                     代表 山口是彦

2015年1月6日火曜日

幼い哲学者



ある年のお正月、僕はバリ島の東側にある「マンギス」という村の
ホテルに宿泊していました。
「マンギス」はマンゴスチンというトロピカルフルーツのインドネシア語だが
この村がマンゴスチンの原産地の1つで、そこからこの名前がついたそうだ。

小さな村だが、目の前には海が広がる美しい場所です。

元旦の朝、日の出を撮影しようとして海岸の砂浜を歩いていた。
近くでは村の子供達10人ほどが地引網をしていた。

ただその中で一番小さな男の子は手伝うことも出来ず
砂浜を歩く僕をじっと見ていた。

近寄りその子の顔立ちを見て、カメラに収められずにはいられなかった。
朝陽を横顔に浴びたその顔はとてもヨチヨチ歩きの男の子には見えなかった。

なんと哲学的な顔をしてるんだろう!
整った顔立ちで大きな目でじっと僕を見ている。

こんな幼い子見たことがない。
こちらが吸い込まれてしまいそうな聡明な目をしていた。
何か偉い僧侶の生まれ変わりのような風貌。

幾ばくかの小銭を子供達を指揮していた村人に支払い
ドキドキしながらシャッターを切った。
彼は何事もなかったようにいつまでもこちらを見ていた。

地引網には結局小魚しか入っておらず、子供達は村へ帰ろうとしていた。
一人の少年がこの哲学者に近づき、ひょいと両手で抱きかかえた。
その瞬間、僕は我にかえった。
抱きかかえられて帰っていくその子の、あまりに小さな体躯に驚いてしまった。


あの子は今どうしているのだろう。
どれほどの少年になったのだろうか。
会いに行きたい。。。
新年を迎える度に「マンギス村」のこの幼い哲学者を思い出す。


注 マウントしたスライドフィルムをデジカメで接写してます。







2015年1月2日金曜日

愛しむ建物



新年明けましておめでとうございます。

皆様方におかれましては光輝く素晴らしい新年を
迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げます。



さて、元旦は5年ぶりにお休みを頂きました。

今年は今までの自分の歩んできた道を少し振返りたくて
静かに一日を自宅で過ごしたのですが、
今までにやりたくて出来なかったことを、
今年は少しずつ結果として残そうと思っています。

その象徴となるものが写真の「大野教会」です。
長崎市の郊外、外海町(今は長崎市に編入されてます)の
角力灘(すもうなだ)を望む急傾斜な山の中腹に佇む小さな教会です。

















地元、大野岳で採れた「玄武岩」に赤土・石灰・砂を混ぜ
水を加えて煉った土を接着剤代わりに挟み積み上げた
「ド・ロ壁」と呼ばれる石壁と木材、漆喰、日本瓦で
構成された質素な美しい教会です。

「ド・ロ壁」とはフランス・ノルマンディー出身の
マルク・マリー・ド・ロ神父が考案した石積み技法です。

ノルマンディーの貴族の家に生まれた神父は神学校卒業後
パリ大学に進み、1865年、司祭に叙階されました。
1868年(明治12年)に出津教会の主任司祭として赴任し
この外海地区の貧しい人々を救うため私財を惜しみなく投じ
フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業など
広範囲に渡る技術をこの地に教えられました。

























































































幼い時から目にしていた「アマカワ」やド・ロ壁は
自分の建築素材の原点だと思います。
日本の伝統的な建築とは少し違うけれど
これも長崎という土地に生まれた日本建築の一つだと思う。
一見するとどこの国の建物かわからないけれど
故郷長崎のとても大切な宝物であり、
少年の頃、衝撃を受けた今井兼次氏設計26聖人記念聖堂、
吉阪隆正氏設計の母校の校舎とともに、
私の建築デザインの「根っこ」の部分です。

これらの建物の根底にあるのは「大きな愛」なのだと思います。

自分の原風景を元に、素朴、質素であるけれど
「愛する、愛される建物」を作り続けたいと思います。