2013年4月17日水曜日

旬を食べる!



週末、忙しくてなかなか会えなかった友人達と旬を食べに行きました。
皆さんとても楽しみにされていたようです。

この季節の旬といえば、琵琶湖の稚鮎、明石の桜鯛、京都長岡の筍等々。
一番栄養価のある食材を、一番美味しい方法で食するというのが私の一番の健康法!!
そして気の合う仲間とたわいも無い話で盛り上がる事。。。














ピチピチと暴れる琵琶湖の稚鮎。
もう少しすると各地の河川に放流されます。
その鮎を生きたまま油に泳がせ、
能勢の山で摘んで来て頂いたヨモギのてんぷらと一緒にいただきます。
ほろ苦い稚鮎と香ばしいヨモギの葉が食欲を増進させます。















大阪湾のとり貝。小粒ですがこの時期の泉南のとり貝は非常に美味しいです。
舞鶴産が出回る前のお楽しみというところでしょうか。
桜鯛と一緒に頂きます。




























皮のまま炭火で焼いていた京都長岡京産の筍。
熱々をそのままで。。
根元のところは本当に甘くて美味です。










































つけ焼きにした明石のあいなめも香ばしく、
20センチ以上あった車海老の頭もいい味です。














海老は軽く炭火で炙り海老味噌と雲丹が入ったアオサの出汁に
くぐらせて頂きます。木の芽とアオサの風味が堪りません。

そして〆のご飯は「筍ごはん」ですが、ちょっと趣向を凝らします。
炊き上がった「筍ごはん」に桜鯛の切り身を並べていきます。










































土鍋の御飯が見えなくなるまで桜鯛を敷き詰め暫く蓋をして蒸らします。














最後に木の芽を散らし、一気にかき混ぜ頂きます。
何とも贅沢な、そして心も身体も満ち足りた気持ちにさせてくれる一品でした。

明日からまた元気に仕事が出来ます。ありがとうございます。

いつも何か新しい、趣向を凝らした食事を提供して下さる西天満「松弥」の中井さん。
皆さんにご紹介したいのですが、予約がまったく取れません。
多分1年待っても予約できないかも知れません。
なにせ席数が最大6席しかないので、毎日ほぼ貸切状態なんです。

2013年4月15日月曜日

「碇を下ろしたフロートハウス」地鎮祭



凛として晴れ渡った気持ちの良い日、
新宮市の「碇を下ろしたフロートハウス」が地鎮祭を迎えました。










































前夜、数ヶ月振りにMさんご夫妻と3人で食事を楽しみましたが
色んな話に盛り上がり、気がついたらもう少しで日付けが変わるところでした。
Mさんすごい量のお酒飲んでたね。
しかし、お住まいの打合せ、お任せい頂いてほとんど打合せしなかったね。
いつも美味しいもの食べて、飲んでいろんな話してお終い!
気がついたらもう地鎮祭を迎えてしまった。。。。
日々眺めている模型はもうボロボロになっているそうですが、
これからは本物を毎日眺められるものね。

いよいよ設計監理の本番ですが監理担当スタッフ K君が
イメージ通りのお住まいを完成させるため図面片手に待ち構えてますよ。
まだ30歳そこそこの若い二人が、これから必死で頑張ろうとしているのだから、
応援しないわけにはいきません!


それにしても地元で獲れた魚やサザエのつぼ焼きも美味しかった。
自分のお店のお肉を焼いて出してもらいましたが
とても柔らかくて美味しかった。
新宮は人口の割りにこんなお店が多いです。
みんな外食するの好きなのかな?
新宮へ来ると、Mさんご夫妻、それから「ゆらぎの情景」Uさんご家族に
いつもご馳走になってる。。。。
気を遣っていただいて申し訳ございません。。本当に!














































地鎮祭のあと、ずっと行けなかった牛舎を見学させて頂きました。
1年目の子牛と2年目のまるまると太った牛達が迎えてくれましたが
みんな牝だそうでとても大人しくて、かわいらしくて愛情を込めて
世話されているのがよくわかります。
空気も美味しいし、環境もよいのでストレスが溜まらないのではないでしょうか。

牛舎見に行ってて、よくこんなステーキの写真出せるなあと
思われるかもしれませんが、美味しく食べてあげることが一番大事なことです。

2013年4月13日土曜日

タイムトリップ



「故郷は遠くにありて思うもの」とはよくいったものだ。
離れて暮らす時間が長ければ長いほど、望郷の念は強くなる。
長崎を離れて42年という歳月が知らぬ間に流れていた。

今回、時間的な余裕があって少しだけあの頃に戻ってみようとした。
今ある街はその当時と違うところもたくさんある。
けれど匂いというか身体を撫でていく風や光はちっとも変わらなかった。

今にして思えば長崎人であったことに深く感謝している。

回り道をしながらも建築設計という職業にたどり着いた自分は間違ってなかった。
中学、高校時代、スケッチブックやイーゼルを肩に油絵のモチーフを探して歩き回った街並。
あの頃の独特の風景は知らず知らずに建築のディテールや色彩感覚を身につけさせてくれた。
東山手の洋館群や大浦の旧領事館跡、教会など子供にとっても刺激的な場所だった。
それこそ鎖国時代唯一海外に門を開いていた「出島」のように、
長崎の街は僕の建築の扉を開けてくれた「出島」だと思う。
そして40年ほど過ぎ、建築を通して自分が本物のポルトガルやオランダを
訪ねる旅を繰り返すことになるとは。。。
それらの国を訪ねるたびに僕は日本から来たとは言わず
「NAGASAKI」から来たと言っていた。









































































































長崎県立美術館を設計した隈研吾氏が、数年前幼い頃よく遊んだ稲佐山の中腹に
「ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート」というホテルを作った。

久しぶりの身内の家に帰るという行為を取り止め、彼の設計したホテルに宿泊してみた。
故郷という場所ではなく、建築や気候、風景を見学する場所として長崎を見つめなおしたいと
思ったからだ。










































なんだか香港にいるような錯覚を覚えた。
どこか混沌とした色々な文化が交じり合った街の中にいるのではなく、
少し距離を置いた自分が夜のプールサイドの向こうに広がる風景を、
異邦人として眺めてるような気分。
長崎弁がスラスラと出て来ず、頭の中で一度翻訳してしゃべっているような
そんなもどかしさを感じた。


部屋に戻るとある雑誌が置かれていた。
「楽・らく」という季刊誌で観光案内にはあまり出てこないような
長崎の事が書いてあった。こんな本を待ち望んでいたんだ。
大阪に戻り、早速創刊号から発刊されたすべての号を
取り寄せた。
ぽっかりと空いた過ぎ去った時間を少しでも埋めるため
今夜はこの雑誌を眺めてみよう。














2013年4月7日日曜日

長崎のいくつかの事(3)



長崎と言えば「カステラ」、その中でも福砂屋と文明堂が特に有名ですが
この街のお菓子屋さんだったら、洋菓子店でも和菓子店でもみんな
お店で作ってます。カステラは和、洋、どちらに入るんだろう?
小さい頃はこのカステラの耳の部分がオヤツ代わりでした。














写真は福砂屋本店、ここの「五三焼き」カステラは本当に美味しい!

懐かしい味を求めてお店の横を東山手の丘へ向かって歩き出す。
石畳の階段を少し歩くと大徳寺という場所にたどり着く。
高校生の頃、おなかを空かした僕たちはよくここへ「梅が枝焼き餅」を買いに来た。
学校では下校途中に買い食い禁止だったから、お店の裏の見えないところで
よくパクついた。
























































その当時からずっとこの餅を作ってるおばあちゃんと懐かしく話をした。
あの頃とまったく同じ。注文してから餅をこね、こし餡を入れ
この焼器に入れて一気に焼きます。
当時はおなかを空かした学生だから、あっという間に食べたけど
今見たら結構大きい!4個からの注文だったので2~3人で頼んでた。

おばあちゃんから「あの頃、海星の学生さんはよう買いに来とったもんね、
今でも美輪明宏さんは長崎に来た時はよう買いに来なっとよ。あの衣装のままでさ。」
そうそう、美輪さんは海星の先輩。。。。です。
美輪先輩が買いに来る気持ちよくわかります。

このお店の横では秋の「おくんち」の出し物「龍踊り」(じゃおどり)の練習場所に
なってるようで保管してある倉庫には2匹の龍が収めてあった。














この辺りは江戸末期から唐人町と呼ばれたところで
多くの中国人が住んでいた。
今でも当時の建物がいくつか残っているが
長崎は和、華(中国)、蘭(オランダやポルトガル)と
色々な国の文化や風習が混ざり合って独特の街並みを形成している。




































神社の横に中国寺があったり、教会があったりするけど
なんの違和感もないです。それが長崎だから。。。
寺の鐘と教会の鐘が同時に鳴って、それに船の汽笛が鳴ったりします。

久しぶりに石畳の階段を息を切らして上がりきったところにありました
母校が。。。。














明治の頃に建てられた校舎は老朽化のため取り壊されてしまったが
同じデザインで最近建替えられました。
でも赤レンガ塀は当時のままで懐かしい。。。
パリのコルビジェの事務所で働いていた「早稲田大学の吉阪隆正先生」が
日本に戻ってきて初めて本格的な建物を設計した校舎もあって
それを見学したかったのだが、首尾よく門が開いていたので中へ入ってみた。

最近、男女共学になって女子サッカー部がグランドで練習していた。
先生らしき方がいらっしゃったので声を掛けた。
「すいません、卒業生なんですが、建物見せて下さい!」
「何年の卒業ですか?」 「昭和46年です。」
「私も46年です!」えっ、よく見ると同級生のYO君になんだか似てる。。。
「ひょっとしてYO君?僕、山口だけど。。。」「是彦ね?」

なんとまあ42年振りの再会!! 彼は神父になるため海星志願院という
修道院に入って勉強してた。そして上智大学の神学部へ進学した。

僕みたいなナンパな学生ではなく、しっかりとした目標を持って勉強していた。
当時から学校には神父様で教師をされていた方がたくさんいらっしゃったので
その道を選んだんだろうか。。。

その日は約束の時間が迫ってるとのことで、あらためてゆっくりと会うことと
校舎を見学させてもらうことを約束して、別れることにしたが少しだけ見せてもらった。






















































当時はこの穿たれた硝子の部分がステンドグラスになっていて
教室の窓には木製の「ブリーズソレイユ」などもありとても美しく、
マルセイユの「ユニテダビタシオン」の雰囲気がありました。

2013年4月4日木曜日

長崎のいくつかの事(2)



お墓参り途中の外海町(そとめちょう)辺りまで来ると、
左手に断崖絶壁が続き、その山肌に這いつくばる様に
カソリック教会の十字架が見え隠れする。

それはレンガを積み上げたものや、漆喰で仕上たものなど様々だ。

この辺りは隠れキリシタンの里で、今でも多くの信者が暮らしている。
学生時代に読んで感銘を受けた、遠藤周作氏の名作「沈黙」の舞台になっている場所だ。

いつも立ち寄ろうと思うのだが、何故か通り過ぎていくことが今まで多かった。

僕が中学生の頃、道はまだ整備されておらず道幅は狭く曲がりくねって、
車同士がすれ違うのやっとだった。乗り合いバスの窓から下を見ると、
東シナ海の波が砕け散る岩場がはるか下に見えた。とても怖かった。
いつも一刻も早くこの場所を逃れたいと思ってたからか、
道路も拡張整備され、展望台なども出来たこの頃でも
癖なのかさっさと通り過ぎる事が多かった。














長崎の教会群がユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに
追加記載された事を知り、あらためて教会群をちょっと訪ねてみたくなった。

角力灘(すもうなだ)に面した大野という場所が、当時一番スリリングな場所だった。
その大野バス停あたりから山間に斜面を登るとフランス人のド・ロ神父と
村民達が力を合わせて作った「大野教会」が見えてくる。
































ド・ロ神父はフランス・ノルマンディ地方の貴族出身だそうが、
私財を投げ打ってこの外海の人々にあらゆることを教え指導した。
ド・ロ神父については知って頂きたい事がたくさんあるため
また別の機会に書きたいと思うが、この「大野教会」はとても素朴だが
とても美しい。
美しいというのは「姿かたち」だけではない、人々の苦労と神に仕えるという
喜びの跡が一つ一つ丁寧に詰まれたド・ロ壁と言われる石の壁に見てとれる。

































1893年献堂 
どこかヨーロッパの田舎にあってもおかしくない建物だ。
スペインとかスイスとか。。。。
ヨーロッパとか日本とかそんなことはどうでもいいと感じさせる
素朴で存在感のある、自然と調和のとれた美しいい建物。














無性にこの建物をテーマにして油絵を描いてみたくなった。
ド・ロ壁の質素さが、主張を抑えた日本的な建築と相通ずる部分があり、
ミニマムでとても心に響いてきます。


















巡回教会のため神父様は常駐していないが
ミサ以外では秋に一度だけ玄関の扉が開くそうだ。

なんとなくだけど、ポルトガル・マルコカナベーシェスにある
シザの教会と相通ずるものがあるような気がします、

2013年4月1日月曜日

長崎の幾つかのこと



先日、法事があり長崎へ帰ってました。

帰ってみて少し長崎の事をブログに書きたいと思いました。
書く事はたくさんあります。
僕が長崎でどのような生活をしてたのか、知って欲しいこともあります。

たくさんのことを知ってもらいたいので、数回に分けて書くことにします。


長崎空港に降り立つと空気があまりにも気持ちが良かったので、
レンタカーを借り、まずは両親が眠るお墓を訪ねました。
両親の墓は長崎市内ではなく西海市という場所にあり、空港から1時間ちょっとの
東シナ海に面した小さな漁村の高台にあります。
父もそこで育ったわけではないのですが、祖父の故郷なんだそうです。


















集落の近くで菜の花と桜が満開であまりにも美しく、
正しい日本の田舎を見たような気持ちになり思わずパチリ!














満開の桜のむこうに見える小さな集落。
そこが両親が眠る島崎というところ。
静かで、本当に静かで、聞こえるのは打ち寄せる波の音、
そしてウグイスの鳴き声。空にはトンビが円を描いています。














心地よい潮風が身体を長崎の僕に戻して行きます。
高校生の頃まではお墓参りのたび、いつもこの生簀から魚をもらい
そのままビニール袋に入れて親類のうちへ持って行き
お婆さんに料理してもらってました。そのころのトビウオは美味しかったなあ。
夏になるとお婆さんは天草を採り、「ところてん」を作ってくれるのですが
純粋な100%天草のところてんの味は絶対忘れられない。
身体に沁みこんでいく味でした。



















お墓から見渡す入江。

対岸は小さな島、無人島です。そのむこうは東シナ海。
お墓は20年ほど前に僕がデザインし、知り合いの石屋さんに作ってもらい
関西から長崎まで運んで来てもらいました。





























近くの納屋に積んであったプラスチックのカゴ。
積み方があまりにも綺麗でモダンでです。美しい!



















何を入れるのでしょうか?よくわからないけど、デザインされてます。

道端には名も知らぬこんな花たちが咲いてました。




























天国のようなところだと思いました。
祖父、祖母、父、母、叔父、みなこの場所に眠ってます。
いつかは僕もそこに入るのでしょうが、
こんな場所で本当に良かったと思います。