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2014年8月25日月曜日

よいご縁が生まれそう!



昨日は故郷の長崎市から住まいを計画されている
「Aさんご夫妻」がお見えになりました。
所用で来阪され、私どものアトリエを見学したいということで
お立ち寄り頂きました。

インターネットコンペでお知り合いになったお客様です。
計画は来年で、今はあちこち土地を見に行かれてるところです。

そのあちこちの土地が、偶然と言うか必然なのか、
私が育った街や実家から1kmも離れていない場所ばかりで、
よく知っている土地柄。

まずは眺望のよさを望まれているので、
どうしても偏った場所になってしまいますが
長崎港が見渡せる場所がご希望のようです。

考えてみれば、父親が家を建てるとき、
同じような場所をあちこち探し歩いてました。
結局、対岸に稲佐山を望む高台で、
長崎港が見える場所にマイホームを建てたわけですが、
その実家から直線距離にして数百メートルしか
離れていない土地が第一希望のようです。

長崎らしい東山手の風景。
正面より少し右に見える青い屋根の洋館らしきものが母校の海星。
左の赤茶の屋根の洋館は活水女学院。
みな明治時代から続くミッションスクールです。














ご縁とは不思議なものですね。
私の育った町内をご希望されているので、
幼馴染達が色々な地元の情報を
大阪にどんどん送ってくれます。
いっぺんに地元通になってしまいました。

「Aさんご夫妻」は元々長崎ご出身ではないので
地元のことでわからないことも沢山ありますから。
何せ、建てようと考えている敷地の隣の住人が誰かまで
わかってしいますからね。勿論問題のある人はいませんが。。
しかし「関東生まれのAさん」長崎弁上手ですよねえ!
僕よりずっと長崎人らしい。。。

このまま上手くいって土地が決まり、
私がそのお住まいを設計させて頂けたら、
幼馴染達が、毎日のようにお宅に伺うかも知れません。
人のよい「おせっかい」が多い街ですから。。。

私の好きな長崎市郊外、野母崎の海。
亜熱帯の植物が繁る美しいところ。
靄がかかっていなければ対岸に雲仙普賢岳が見えるのですが。
どことなくハワイに似てませんか?
ちょっと言い過ぎかもしれませんけど。

Aさんに興味を抱いたのも、インターネットに
長崎のこんな海の写真を載せられていたから。。。
もう我慢出来ずにコンタクトを取った次第です。

2014年7月10日木曜日

立体的な街



台風が近づく直前、長崎市へある敷地を確認するため
スタッフのSさんと出かけておりました。

プロジェクトは来年の計画なのですが、
何となく今見ておかないとアカンという私の直感が働きまして。。。
それに二人の日程がこの日しか都合がつかないということもあり。。
朝一番、7時20分の飛行機に乗り込みました。

台風の影響で飛行中はよく揺れました。
長崎も今日は雨かも知れないなあと思いつつ、
Sさんから「先ほどまで長崎は雷雨注意報が発令されてましたよ」と
言われたものの、今更諦められませんが何せ遠距離出張の時、
私は「嵐を呼ぶ男」といわれてます。
何もないわけがないじゃないですか!

長崎空港へ到着してみると以外にも雨降ってないじゃん!
覚悟してきたけど、ぜ~んぜん大丈夫。
さすが地元、「嵐を呼ぶ男」を神様も許してくれたかな。

市内の高台にある敷地に到着しても雨が降る気配まったく無し。。。
むしろ雲の間から太陽が顔を覗かせ、陽射しまで出てきた。暑いッス!

見渡せば右手には長崎駅から浦上方向、港を挟んで飽の浦・立神・稲佐山
左手には香焼から東シナ海まで見渡せる素晴らしい眺望。
それに目の前の住まいは解体中で、この敷地は道路に面していないため
新たに建築物を新築する可能性は限りなく0に近い。
つまりはもっと眺望がよくなるということです。

写真で見る以上にもっと立体的なので、
夜はハンパなく世界三大夜景が楽しめます。
でもここまでの道のりは、長崎特有の狭く急勾配の坂道。
少し登り降りするだけで息が切れます。。

具体的な住まいのイメージが湧いてきました。。。が、
少し先の話なので、頭の中で熟成させておきましょう。
熟成させておけばもっとよいものが生まれるかもしれません。

やっぱ好きだなあ、この街。。。


2014年3月24日月曜日

大忙しの週末


連休の週末、土曜日の午前中は京都・伏見区淀で進めている
イタリアンバールの地鎮祭でした。
店先でイタリアンな惣菜も売るし、一般客席以外にスタンディングな
シェフズカウンターもあるバールです。
これは設営中の写真。
午後から長崎へ向かう飛行機を予約していたので、
式が終わり次第、速攻で伊丹空港へ!


















長崎へ到着して、そのまま中学時代のバレー部同窓会へ出席。
仲間とは何度か会ったりしてるけど、今回お越し頂いた先生お二人の中の
M先生は美術の先生でバレー部のコーチもされてました。
僕はそのM先生と一緒に作った中学2年の課題がきっかけで
インテリアデザインに興味を持つようになり、
それから建築へと進んで行くことになりました。

そのことを初めて先生に打ち明けたのですが、
残念ながら先生、そのことあまり覚えて無かったなあ。
45年以上前の少年一人の心の中の事だもの、
覚えてるわけないだろうね。
みなさんの写真載っけちゃいましたけど、許して!














深夜まで飲み明かした翌日の日曜日、両親の墓参りを済ませ
夜は唯一の姪っこの大学入学祝いと成人式のお祝いを兼ねて
長崎市崇福寺近くにある「プルミエクリュ」というフレンチへ。

1年前に合格していたのですが、熊本の大学に入学したものだから
なかなか会えるタイミングが無くて、ずっとお預けになってました。
成人になったこともあり、さすがにこれ以上延ばすわけにもいかず
色々なイベント事と合わせて今回の食事会になりました。
藤色のお店のファサードがパリっぽいですね。


















このフレンチのシェフはBSで放送されている「皿の上のスペシャリテ」という
料理人を特集した番組を偶然見て知り、昨年夏に一度訪れました。

長崎と言う土地柄、なかなかちゃんとしたフレンチレストランが無くて
やっと安心して食べられるお店に巡り会いました。
納得のいく料理を作るために、現在は一日2組までしかお客さんの席を
用意しないそうです。
本日は僕達だけ。。。僕のまわり、そんな店多いな!
お店のために少しだけ料理を載せておきます。

フランス産アスパラとオマール海老、アスパラのジュから作ったソースが
なかなか美味しかった。














五島列島産のアマダイに同じく五島のムラサキウニ、
そしてイカ墨で作った網。。。正式な名前忘れました。















そしてディセールはバナナのパルフェ、美味しかったです。














女医先生をめざしている彼女、挫折しないで何とか頑張って欲しいデス。
叔父としてはなあ~んの役にも立たないけど、
美味しいもの食べたくなったら連絡してきなさい!

翌朝、九州新幹線に乗ったことがなかったので「さくら」に乗車して
大阪へ。。。車中ではずっと仕事してましたよ。。。

2013年9月28日土曜日

軍艦島(端島)
















今夏、台風通過後の軍艦島

長崎市の郊外、野母半島(長崎半島)の先端近く、
脇岬から北へ4~5キロの海上に浮かぶ小さな島です。
石炭を掘るために岩礁の上に作られた人工の島ですが
廃墟となってしまったこの島はこのところ世界遺産登録や
建築の世界で色々話題になっています。

この島は私が大学進学のため長崎を離れて3年ほどして鉱山が閉山となり、
すべての島民が島を離れ無人島になってしまいました。

高校や大学の頃、夏になると長崎の街から海岸沿いに
半島の突端にある野母崎町まで友人達とバスや車に乗り
海水浴によく出かけました。
その折、峠を越えたあたりからこの島影が見えてきます。
野母崎に到着するまでずっと右手に見えているのですが、
いつも特別な存在としてずっと見つめていることが多かった。
手の届きそうな距離にあるその島は近くて遠い島でした。

高校生の頃、軍艦島(端島)から進学や甲子園を目指して
下宿している同窓生もいました。
当時在校していた海星高校は野球の名門で、よく甲子園に出場してました。
しかし、ほとんど平地の無い島で、ちょっと油断すると
ボールがすぐ海へ落ちてしまうそうで、野球をやること自体大変だったようです。

「一回、島に遊びに来んね、軍艦島も面白かよ!」と誘ってくれた友人もいました。
長崎は離島が多いのに、僕は船で離島に渡った経験がほとんどありませんでした。
五島や平戸など島に住んでる親戚がほとんどいなかったこともあり、
船はいつも眺めるだけのものであり、大波止や大浦の桟橋から出航する
離島行きの船を羨望のまなざしでいつまでも見ていたような記憶があります。

一度だけもう少し北の方の島で同じ石炭を採掘している松島という島へ
父親と渡ったことがあります。
港へ近づくと岸壁にたくさんの石炭が山積みされ、海は石炭の滓でしょうか
黒く濁り、見慣れない重機が走り廻っていました。
そのような光景を見て何か異次元の世界に来たような印象を受けました。

ある意味、軍艦島も高層のアパートが建ち並び、異空間のように思えて
島へ渡るという行為に怯んだのかもしれません。

今にして思えば「残念な事をしたな」と後悔しています。
建築世界に身をおくことになって、世界一過密都市であった軍艦島の生活や
コミュニティがどのようなっものであったのか、肌で感じる機会を逃してしまいました。

でも故郷が無くなってしまった同窓生達はどんな思いでいるのだろうか。。。。
最近は見学のために軍艦島へ渡る事ができるようになったようですが。。






2013年4月13日土曜日

タイムトリップ



「故郷は遠くにありて思うもの」とはよくいったものだ。
離れて暮らす時間が長ければ長いほど、望郷の念は強くなる。
長崎を離れて42年という歳月が知らぬ間に流れていた。

今回、時間的な余裕があって少しだけあの頃に戻ってみようとした。
今ある街はその当時と違うところもたくさんある。
けれど匂いというか身体を撫でていく風や光はちっとも変わらなかった。

今にして思えば長崎人であったことに深く感謝している。

回り道をしながらも建築設計という職業にたどり着いた自分は間違ってなかった。
中学、高校時代、スケッチブックやイーゼルを肩に油絵のモチーフを探して歩き回った街並。
あの頃の独特の風景は知らず知らずに建築のディテールや色彩感覚を身につけさせてくれた。
東山手の洋館群や大浦の旧領事館跡、教会など子供にとっても刺激的な場所だった。
それこそ鎖国時代唯一海外に門を開いていた「出島」のように、
長崎の街は僕の建築の扉を開けてくれた「出島」だと思う。
そして40年ほど過ぎ、建築を通して自分が本物のポルトガルやオランダを
訪ねる旅を繰り返すことになるとは。。。
それらの国を訪ねるたびに僕は日本から来たとは言わず
「NAGASAKI」から来たと言っていた。









































































































長崎県立美術館を設計した隈研吾氏が、数年前幼い頃よく遊んだ稲佐山の中腹に
「ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート」というホテルを作った。

久しぶりの身内の家に帰るという行為を取り止め、彼の設計したホテルに宿泊してみた。
故郷という場所ではなく、建築や気候、風景を見学する場所として長崎を見つめなおしたいと
思ったからだ。










































なんだか香港にいるような錯覚を覚えた。
どこか混沌とした色々な文化が交じり合った街の中にいるのではなく、
少し距離を置いた自分が夜のプールサイドの向こうに広がる風景を、
異邦人として眺めてるような気分。
長崎弁がスラスラと出て来ず、頭の中で一度翻訳してしゃべっているような
そんなもどかしさを感じた。


部屋に戻るとある雑誌が置かれていた。
「楽・らく」という季刊誌で観光案内にはあまり出てこないような
長崎の事が書いてあった。こんな本を待ち望んでいたんだ。
大阪に戻り、早速創刊号から発刊されたすべての号を
取り寄せた。
ぽっかりと空いた過ぎ去った時間を少しでも埋めるため
今夜はこの雑誌を眺めてみよう。














2013年4月1日月曜日

長崎の幾つかのこと



先日、法事があり長崎へ帰ってました。

帰ってみて少し長崎の事をブログに書きたいと思いました。
書く事はたくさんあります。
僕が長崎でどのような生活をしてたのか、知って欲しいこともあります。

たくさんのことを知ってもらいたいので、数回に分けて書くことにします。


長崎空港に降り立つと空気があまりにも気持ちが良かったので、
レンタカーを借り、まずは両親が眠るお墓を訪ねました。
両親の墓は長崎市内ではなく西海市という場所にあり、空港から1時間ちょっとの
東シナ海に面した小さな漁村の高台にあります。
父もそこで育ったわけではないのですが、祖父の故郷なんだそうです。


















集落の近くで菜の花と桜が満開であまりにも美しく、
正しい日本の田舎を見たような気持ちになり思わずパチリ!














満開の桜のむこうに見える小さな集落。
そこが両親が眠る島崎というところ。
静かで、本当に静かで、聞こえるのは打ち寄せる波の音、
そしてウグイスの鳴き声。空にはトンビが円を描いています。














心地よい潮風が身体を長崎の僕に戻して行きます。
高校生の頃まではお墓参りのたび、いつもこの生簀から魚をもらい
そのままビニール袋に入れて親類のうちへ持って行き
お婆さんに料理してもらってました。そのころのトビウオは美味しかったなあ。
夏になるとお婆さんは天草を採り、「ところてん」を作ってくれるのですが
純粋な100%天草のところてんの味は絶対忘れられない。
身体に沁みこんでいく味でした。



















お墓から見渡す入江。

対岸は小さな島、無人島です。そのむこうは東シナ海。
お墓は20年ほど前に僕がデザインし、知り合いの石屋さんに作ってもらい
関西から長崎まで運んで来てもらいました。





























近くの納屋に積んであったプラスチックのカゴ。
積み方があまりにも綺麗でモダンでです。美しい!



















何を入れるのでしょうか?よくわからないけど、デザインされてます。

道端には名も知らぬこんな花たちが咲いてました。




























天国のようなところだと思いました。
祖父、祖母、父、母、叔父、みなこの場所に眠ってます。
いつかは僕もそこに入るのでしょうが、
こんな場所で本当に良かったと思います。