2015年4月22日水曜日

トヨクニ ハウス



昨日、現地調査で久しぶりに都島区へ出掛けた。
調査を済まして、天気も良かったから、
昔の知り合いが住む高倉へ歩き出した。

ある事情があって、もう二十数年会っていない。
過去のことは時が解決しただろうと思い、
無性に会いたくなって自宅を訪ねてみることにした。
この辺りは風景が様変わりしていた。
残念ながら、知人の住まいも取り壊され無くなっていた。

仕方なく、知人の家があった通りを駅方向に向かって歩く。
交差点で、何気に見た風景が「ズン」と心の中に入り込んできた。
東京の原宿や代官山にあった同潤会アパートを
彷彿させる建物がそこにあった。
20年前、この建物がこんなところに建っていたという記憶が全くない。

大学生後半から社会人になったばかりの頃、
僕は東京、南青山の古いアパートに住んでた。
昔、ショーケンや水谷豊が出演していた
「傷だらけの天使」というドラマがあったのだが
そのショーケンが住むアパートに雰囲気がよく似た建物だった。

今、見上げる建物はその雰囲気を充分に醸し出している。


































階段上の庇には「トヨクニ ハウスA」と
錆びついた看板が付けられていた。
近づいて階段を見上げると、
2階には左右に木のドアがあり、
天井からはアンティークな照明が吊るされていた。




















懐かしさと味のある趣に暫し見とれてしまった。
4棟ほどある建物を、お気に入りの女性を見まわすように
グルグルとまわって眺めていた。


















































































僕自身、40年以上前の僕にタイムスリップし、
あの頃の日々を思い出していた。
港区南青山7丁目。。それが住所だった。

石鹸と桶、タオルを片手に青山通りを横切り
今はもう無くなったが、紀伊国屋スーパーの裏手にあった
銭湯へ通った。今は首都大学東京のキャンパスになってるけど。
信じられないけど、青山通りの直ぐ傍に銭湯があったんだ。
僕のアパートはその青山通りから六本木、高樹町へ抜ける
骨董通り沿いにあった。
1階にはブティックとブリキのおもちゃ屋があり、
2階には6畳一間の部屋が6つほどある、古いコンクリートのアパートだったが、
面白い住人が何人も住んでいて、夏の暑い日は3階建ての屋上に
椅子を持ち出し、みんな上半身裸になって身体を焼いた。

2部屋に1台電話があり、どちらかが使いたい時や、
電話がかかってきた時、自分宛でない時は相手に繋ぐ。
僕が一緒に使っていた相手は、中々売れない歌手だった。
ずいぶんモテていたようで、僕をその歌手と間違って
電話口で泣かれたこともあった。
歌手を続けるか、辞めて実家に帰るか最後の賭けをすることになった時
曲を書いてくれたのは松〇谷〇実さんだった。
発売の日、出せるお金を全部叩いて僕はレコードを買った。
それでもだめだった。。。半年を過ぎた頃、
彼は故郷の奈良へ帰って行った。
今はサンフランシスコで成功している親友の「HISASHI」も、
当時は自分のねぐらがなく、僕のアパートへ転がり込んでいた。
貧乏だったけど(それは今も変わらない)何もかもが青春していた。。。。

そんなほろ苦い思い出に、この建物は瞬時に接続してくれる。
大阪で戦前から人が住むコンクリートの集合住宅は
この「トヨクニ ハウス」が一番古いらしい。
もう80年ほど経過しているそうだ。
残念ながら、老朽化のため新たな募集はしていないらしいが、
もし住むチャンスがあるのなら、一番に手を挙げたい。

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